本コラムでは「ひろぴー」が実際に経験した投資人生を綴ったコラムとなっております。
元々、株の個人投資家としてデビューを目指し、そしてFXに目覚めて相場で勝てるようになるまでのお話です。
具体的な経験や苦労を綴っております。もしご興味あればお読みください。ちょっと長くなるため、何話かに分けてお話したいと思います(笑)
目次
利周りの素晴らしさを学ぶ
いつごろからお金に対して執着心が強くなったのだろうか。
自分でもふと疑問に思う。
幼稚園の入園前から公文に通っていたことから、算数が得意であった。
数字の計算をするのが非常に好きな園児だったことだけはよく覚えている。
そして当時からお年玉の貯金して利子が付くのを非常に心待ちにしていた。
全くもって可愛くない(笑)
大体5〜6歳児、親戚周りをしてお正月に2万円ぐらいゲットしていただろうか。
いつも1万円貯金して、残りは年間小遣い予算として引き出しにしまっていたことを覚えている。
12ヶ月割って、毎月500円とか600円使う計算は小学校1年生のころからかなりきっちりやっていた。
1万円に利子が300円以上ついているときの喜びも忘れられない。
当時は公定歩合が5%以上あった時代なので地方銀行の預貯金も3%以上ついていた。
わずか6歳時が300円の利子をもらってテンションが上がっていたなんて中々変わり者かもしれない。
この頃から利回りという言葉を覚えていた。
当時、ウルトラマンの『コロがしたい』という100円のお菓子とキャラクターが付いたおもちゃを集めることが好きだった。
これが3つタダで貰えるなんて!!っと衝撃を受けたことを明確に覚えている。
幼稚園児からすればテンションMAXだろう。
来年になってもう1万円貯金すれば、再来年もう1万円貯金していけばと・・・・。と、単純計算をよくしたものだった。
利子1000円つくには33,000円預金すれば・・・と、興奮したものである。
これが利回りという金融に興味を持ち始める本当に最初にきっかけだったと思う。
中学生の頃のITバブル
1998年から『IT革命』という言葉を見聞きするようになった。
いわゆるインターネットバブルだ。
ちょうど中学2年生のころだ。社会科の授業で、株式のことを教わった。それから株価一覧をしょっちゅう閲覧するようになった。
投資元本から1割増えたら、1割もらえちゃうの!??
これも本当に不思議な感覚だった。それからというものの、朝刊の新聞紙をめくっては、東証1部の企業を眺めていた。いくらになったのだろうかと。
当時のソフトバンク、光通信、NTTdocomo、KDDIという企業は本当に鮮明に覚えている。
毎日バカみたいに株価が上がっていった。
NTTドコモの株がこの間260万円だったのに、もう300万円かよ!
1週間後、もう330万かよ!一人でつっこみを入れながら新聞を読んでいたことを思いだす。
ああ、自分に百万円さえあれば・・・。っと心躍らせていた14歳。
完全にこの頃から現在の人格が形成されていたかもしれない(笑)
ここで強く決心した。
大学生になったらバイトして金を溜め込んで株をやろう!っと。
ライブドア株で大儲け。
大学一年生になり、必死でバイトした。
計画していたとおり、稼いだ金を最初に株につぎこんだ。
大学一年生、2005年の秋だったと思う。
必死でバイトして貯めた38万円を握って、銀行にいったものだ。
当時、ゆうちょ銀行に全財産を預けていた。
ただ、送金すれば良いものの、手数料がもったいないからという理由で大学のゆうちょ銀行ATMから38万円を引き出して横浜銀行までカバンに入れて、持ち運びしたことを覚えている(笑)
数百円でも節約しようという試みだ。
いや、大金だった。
大学一年生が38万円持って自転車こいでいるとかも面白い。
かなり脇汗かきながらビクビクして資金を移動させていた。今思い返すと苦笑いが止まらない。
そんな苦労もありようやく初めてのネット証券を口座開設した。(最初に開けた口座は楽天証券)
ノートパソコンも開けて、いざスタンバイ。
たくさんの銘柄がチカチカしていた。検索すると、あのNTTドコモやKDDIも出てくる!
ものすごい興奮をした記憶がある。
ただし初めて買った銘柄は覚えていない。ただ、クリックを押すのにも鼓動が耳に大きくこだました。
一つ一つの作業だけは明確に覚えているのでかなり緊張していたのだろう。人生初の投資家デビューだった。これは投資家ならば誰もが記憶にあるだろう(笑)
あの最初の買い注文に出た行動は誰でも忘れられないはずだ。
その後、操作の仕方を慣れるため、100株だけ買ったりと何回か取引をしたあと、本取引に移行した。
確か、最初の1週間で4000円だけ増えたことだけ覚えている。
初めて投資で儲けたリターンだったので本当に嬉しかった。
高値づかみ高値離し
当時の手法が高値づかみ高値離し。
朝一寄り付きと共に上位に上がってきた銘柄を狙って買う。
少しさらに値上がりしたところを売るという手法を繰り返していた。つまり勢いのある銘柄に絞ってトレードしていた。
最初はうまくいくものの、儲かってくるとより過剰取引になる。
さらに激しく売買を繰り返して徐々に資金が減っていった。
30万円を割り込んだぐらいだろうか、フジテレビの買収問題で下がっていたライブドア株がボトム圏から脱してきた値動きをみて、飛びついた。
確か300円台だったと思う。
そしてあっという間に400円、500円と値をあげていったので全財産を投じてその様子を見守った。
人間は経験したことがないと発想に至らない。
その後も順調にライブドア株が高値を更新。ついに700円を超えた。
これは株で生活できるのではないかと考えてしまったぐらいだ。
いかんせん20歳の子が株で月20万も30万も稼いだら有頂天だ。
さらにバイトは居酒屋のキッチンで週4働いていたため、バイト代も毎月10万〜15万円ぐらいはあった。
っとなると、もう満足感ありありだ。「なんだ、俺月収30〜40万あるじゃん♪」
テンションMAXになって買い物をしまくりはじめた。
当時、頭の中では高級志向などはもちろん皆無だ。
原宿まで出かけて服を買いあさって両手に紙袋4つずつぐらい握って帰ったことを覚えている。
10万円財布に入れていったのだが、3000円のジーンズやシャツなどを何枚も買うことしか発想にないため、結局7万円しか使えずに帰った記憶がある。
帰りの電車でようやくそのことに気づいた。
「ハ! もう少し質の良い服を買えばよかった・・・・。」っと。
人間経験がないと、発想も限定的になってしまうものなのだなっとこの頃気づいた・・・。
『己を知って1歩目』 この言葉について、身にしみて感じた20歳だった。
ノリに乗ってライブドア株ド天井で利食い。
ちょうど寝坊して大学の授業をサボった秋の午後。
13時ぐらいに目が冷めて電源つけっぱなしのノートPCを見てみると、ライブドアの株価が790円をつけていた。
含み益も40万円以上!これで免許合宿いけるぞ!っと利食い!
なんとそこがライブドア・ショック前の高値をつけた日となったのだ。
これは本当に運が良かったと思う。
人生初めて恐怖感を覚えた。
そして翌年になる2006年1月。
バイトから帰ってきてPCをつけた。ヤフーニュースのTOPには『ホリエモン家宅捜査!』の文字が。
インサイダー取引の疑いで特捜部が動いていたそうな。
売り抜けていたとはいえ、本当にショッキングな出来事だった。
本当に間一髪だったと、たまたま強運が巡ってきていたことを今更ながら感じた。
生まれて初めて、脂汗というものをかいたと思う。
デスクに座って、止まらない冷や汗がダラダラと流れ落ちてきて真っ青になった。
もしライブドア株持ってたら・・・。
今も昔も、本当に怖い経験をしたと思えるのがこのライブドア・ショックのときかもしれない(笑)
損をしていたわけでないのに文章を読んだだけであそこまで身体がこわばったことはなかった。
翌日、興味本位で板を見てみると、案の定、数億株もの売り板がびっしり並んでいた。
当然のストップ安。
ああ、株で失敗するってこういうことなんだな、と。
売るに売れないというものはこのことかと初めて理解した。
そして毎日ストップ安を付けて、まともに取引できるようになったころは確か50〜100円ぐらいまで下がったころだと思う。
そして上場廃止に。
この怖い経験から、一旦株は離れようと決意し、大学生活はそのまま月日が流れていった。
2010年投資再開
就職して1年が過ぎたころ、再び100万円ほど貯めた貯金で投資を再開させた。約4年ぶりの投資の世界に再参入だった。
当時はリーマン・ショック後の経済低迷時代。
株をスタートさせたが民主党政権だ。全くもって株価が上昇しない。
ライブドア株のようなものは早々出会えるはずもなく、さてどうしたものかと考えていたら本屋で目に止まった。
これが『FX』との最初の出会いだ。
もちろん存在や言葉ぐらいは知っていたし、証拠金取引のことも知っていた。
が、レバレッジがまさか50倍も掛けられることは知らなかった。
為替なんて変動率低いし、株より儲からないとばかり思っていたが、レバレッジを掛けたときの変動率はまさに異常。
これはやるしかないと思い、早速書籍を購入し、一読終えたあとに口座開設をした。
人生初の証券会社はFXオンラインジャパン(現:IG証券)
いきなり開けたところがFXオンラインジャパンという、ちょっとマイナーな証券会社だった。
理由は月間ZAIを購入した見開きにその広告があり、何かこう格好良いクールなイメージの広告が気に入って口座開設したのがきっかけだった。
いかにも外資系といった感じだ。
そしてその最初に買った月刊ZAIで最初の特集ページに掲載されていたのが、ボリ平さんだった。
名古屋の主婦、シングルマザー、息子3人!
自分も名古屋出身ということもあり、何故か親近感が湧いた。
そしてなんといってもワイルドそのもの。
まさか7年後、今のように交流がある仲になるとは思ってもいなかった。
っというか、毎月買っていたあの月刊ZAIに毎月自分が登場しているのも不思議ではある(笑)
毎度出演しているため、毎月自宅に月刊ZAIが送られてくる。
今も読んでいるが、本当に一生懸命読んで学んだな〜としみじみすることも未だ多い。
初心者はまず書籍より上辺だけをざっくり学んだり、たくさんの投資商品を学ぶために、月刊ザイあたりからひたすら読みふけったほうが良いかもしれない。
っというか、事実、自分も最初はこの方法からスタートしていたからだ。
いきなり書籍を読んでも難しいため、初心者向けに作られた雑誌ベースで図や説明も多いZAIからまず投資に興味を持つように行動したほうが明らかによいと考えている。
結果無理なく、楽しんでゆっくりじっくり投資を学んでいけるからだ。
最初のトレードスタイルは5分足!
FXのデモトレードを1〜2ヶ月実践後、株からFXに完全に引っ越しをした。
確かレバレッジ規制が50倍に変更された2010年の9月ごろから実弾のスタートである。
(翌年2011年の9月から25倍に段階的引き下げも決まっていた。)
当時はドル円もユーロドルもスプレッドが1.0〜1.6pips程度のものが多く、スプレッド戦争は始まっていたものの、各社色々と乖離があった時代だ。
テクニカル分析もそこまで搭載されているFX会社も少なく、スマホから取引する時代でもまだなかった。
もっぱらデスクトップPCで取引するスタイルが普通だった。
最初はボリンジャーバンドで逆張り取引する5分足スタイルでトレードしていた。
結構調子よく20%ぐらい資金が増えるのだが、その後、決まってふり出しにもどる。
また頑張ってトレードしていくと、再び20%ぐらい利益が増えて、また徐々に減っていく。
気づいたら、ボリンジャーバンド±1σでテクニカルを設定してその間を逆張りしていたことに気づいた。
っと、FXを初めて1ヶ月、ようやく気づいたことだった(笑)
FXオンラインジャパンは元々CFDの会社だったため、その内訳でFXというサービスがあるという提供の仕方でもあった。
本来、FXはCFDの中の一つの投資商品だった。
しかし、日本の場合、FX人口が増えすぎてしまったため、CFDとFXを分けて別物として扱うようになったそうな。
聞いてみれば、金融庁の管轄部所もFXとCFDまでわけられてしまっているのが現状だ。
なので、日本の会社はFXとCFDを同じプラットフォームで取引できないようになっている。
余談になるが、海外だとドル円のトレードしながら、同じプラットフォーム内でダウ指数や原油が売買できるのだが、日本の場合は金融庁管轄関係上、どうしてもそれができないらしい。
これは今後も変更されることはないだろう。
ちなみに今流行りのビットコインをはじめとした仮想通貨取引も管轄が明確になっていない。
聞いている話だと、CFDの差金決済のくくりに入るようだ。
よって、仮想通貨のFXや信用取引・先物取引など各社言い回しが色々あるが、証拠金取引であることは変わりないので、こちらの確定申告は税率20%で申告できるようになるかもしれない。(※2017年の確定申告では総合課税となっております。)
但し、現物の取引は雑所得扱いなので、年間50万円以上の利益を確定してしまった場合、申告義務が発生するので注意して頂きたい。
もちろん、含み益を長期持ち越している場合は、利益確定して円に戻すまでは税金がかからない。
話が脱線したが参考までに。
3ヶ月間でノックアウト!
その後、ボリバン5分足逆張りトレードを続けるものの、順調に資産を減らしていった(笑)
損切りを徹底していたので大きな負けはないものの、非常に安定して右肩下がりの資産グラフだ(笑)
まさにスプレッド負けとはこのことだろう。
基本ドル円やユーロドル中心だったが、慣れてくるとポンド円や豪ドル円にも手を出しては溶かす繰り返しだった。
一時、豪ドル円をひたすらナンピンする方法も取ったが、やられまくりだった。何度か赤字からプラ転になることもしばしばあったが、それも持たずしてロスカットだ。
FXを初めて3ヶ月後の12月1週目、ついに口座残高は11万円となった。
さすがに懲りた。
涙を枕で拭った日を今でも忘れない。
人生初の挫折を味わった。
それでも何かこみ上げる悔しさがあり、そのまま三省堂に向かって、FXの書籍を手当たり次第購入して読みふけった。
各国の経済指標やテクニカル分析、たくさんの金融ニュースも読んでわからないものは検索して覚えていった。
MT4との出会い
たくさん勉強しているうちに、便利なツールを見つけた。
MT4だ。
当時はハイレベルな上級者が使うツールだとばかり思っていたが、触ってみると意外にそうでもない。
っというか使いやす過ぎて一目惚れしてしまった。
このツールは過去のチャートを大幅に検索できるため、過去の値動きを学ぶなら本当にモッテコイだった。
テスターという機能まであるので、例えば、2006年1月1日から現在までドル円チャートスタート!っと設定をしてボタンを押せば、当時の値動きを全て再現してくれる代物だった。
また早送りもできるため、調べたい日付や一定の期間の値動きも繰り返し勉強することができた。
過去、どんな取引でどんなテクニカルが効いていたか、まずはテクニカル手法探しの旅がここから始まった。
移動平均線を使うのか、ボリンジャーバンドを使うのか、一目を使うのか。
オシレーターはMACD? RSI? ストキャスティクス?
本当にたくさんのデータを見比べては日々チャート分析に明け暮れていた。
【軌跡1】リターンと相場との出会いはおしまいです。2話目につづきます。
⇛【軌跡2】勝ち始めても自覚するのは1年後
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